【銅山】最盛期には5000人が暮らしていた町(石川県小松市尾小屋)

2023年9月16日土曜日

採掘場・鉱山跡 石川県 町並み

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石川県小松市には尾小屋鉱山という銅山がありました。

ここには廃線跡を追ってきましたが、せっかくなので鉱山の町の様子も見てきました。
訪問:2023年6月

黒いカラミの町

尾小屋鉱山の資料館を見た後に町を見に行きました。
奥に資料館が見えますが、鉱山が操業していた当時は阿手坂社宅という従業員用の住宅があったという。
(資料館で見た昭和31年の建物を載せた地図より。以下に出てくる当時の建物の名前、位置は全てこの地図を参照しました。)
これから見に行く町には、最盛期には5000人ほど、小松市に編入された1956年には3000人ほどが暮らしていました。
そして現在、小松市が発表した令和4年12月の町別人口では、尾小屋は16人となっていました。
途中にあった飲食店
多くの人が暮らしていた町は資料館から少し下ったところにあります。
直接は行けなさそうなので迂回。
この上には映画館があったようです
町は谷の底に位置しているようです。
坂を下っていきますが、その擁壁は黒いのが特徴的。
先ほどの資料館もよく見ると黒い壁の上にあります。
この黒い壁は全て六角柱の物体でできています。
これはカラミと呼ばれる、鉱山で採れた銅を精錬する際に生じる物です。
本来は不要な物ですが、擁壁に再利用しているということですね。
坂を下って当時のメインストリートへ入って行きます。
坂の途中から上を見上げる。黒光りする擁壁に美しささえ感じる。
向かって左側の擁壁の上には、職員住宅があったということで登ってみる。
長らく人の往来が無いような、擁壁に挟まれた階段です。
ここが住宅跡地。
奥には行きませんでしたが、何も残っていないように見えます。
左には職員宅と、役員浴場なるものがあったらしい
元の場所に戻って、右を向く。この先を進んで行くと資料館の場所まで登ることができるようです。
奥にある橋が非常に気になりますが、さらにバリケードがあります。
資料館で見た地図によると、あの橋は戦前のコンクリート橋らしいので、老朽化が激しいのでしょう。

尾小屋のメインストリートへ

通りの資料館寄りのところには新しめなお宅が何軒か建っていたので、少し先へ。
すぐ近くの空き地にあったこの横穴は、防空壕だそうです。
少し進んで鉱山側を見る。
銅山全盛期を知っていそうな立派なお宅があります。
町の真ん中を通る道路は車のすれ違いができないくらいに細いです。
石の階段にカラミの擁壁。
この上にも家が建っていたのでしょうね。
鉱山側に何軒か家が並んでいた以外に建物はほぼ残っていません。
何かしらあったのだろうという痕跡のみ。
反対側には崩れたカラミ擁壁のある道。
どこに続いているのでしょうか。
少し歩くと、道より低くなっているところに何かが建っていた痕跡があります。
カラミが積み重なっていたようです。
すぐ手前には下へ降りるための階段が。
どうやらここは米や酒を販売していた赤木家というお宅の地下室で、ここに貯蔵をしていたようです。
(建物が残っているときの様子が見たい…と思いましたが、2012年のストリートビューに何とも味のある商店が写っていました。生で見たかった…)
地下の床も黒っぽいです
この集落では六角形のカラミがそこら中にあります。
手前にも奥にも。この地ならではの景観でしょう。
なんとも立派な蔵がありました。
カラミのレンガをでできているので、きれいに黒光りしています。
こちらも赤木家のものだったようです。
最後に町の端っこ、鉄道の駅があった方面にある鉱山病院の跡地を見に行きました。
ここにもやはりカラミ。
病院の跡地は花畑といった様子となっていました。
階段は残っていますし、病院自体は他の建物と同じように解体されたのでしょう。
尾小屋の町あるきは以上です。
人口は最盛期の5000人から現在では20人にも満たない数になりました。
鉱山や炭鉱で栄えた町はどこも人口の減り具合が極端で、その分当時とのギャップの大きさに驚いてしまいます。

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